Project1: Philosophy of Technology

「テクノロジーを哲学する」からはじめよう

技術と人の共生

技術と人は、「人」というものが誕生する以前から、その歩みをともにしてきました。動物たちと人の違いとして、道具や言語という技術が挙げられ、技術は人間存在の前提とさえ言えるでしょう。また、現実的に、現代の80億近い人口を成り立たせる前提や、多くの命を救うため、さらには、生まれる前の命のあり方にまでテクノロジーが強く関与しています。ある意味で、私たちは生まれながらにサイボーグ的な存在なのです。


一方で、そのテクノロジーの全容を知る人はこの世界に1人もいません。人類が生み出したものでありながら、このテクノロジーのすべてを把握している人はだれもいないのです。この点で、テクノロジーに対して私たちは謙虚になる必要があります。私たち自身や社会を基盤として支える「存在」であるテクノロジーは、私たちが知覚するこの現象世界の背景で蠢いていて、まるで宇宙自然とそうしているように、私たちと共生している。そういった構図を無視して、人間世界からのみの視点で技術を語ることは明らかに不十分です。テクノロジーとは、人間が自在に飼いならしコントロールできる道具や手段ではないのです。こうしたスケール感を持つことが大切になるでしょう。

現代の技術哲学者たちもまた、テクノロジーは単なる道具や手段ではないといいます。現代の代表的な技術哲学者であるMark Coeckelberghは、「テクノロジーを無視することは、私たちの世界を無視することを意味する」といいます。


そして、現代の技術哲学者たちは、必ずしも世界はディストピアになるとは考えていません。多くの現代の技術哲学者は、「脱 - 近代的自己」と「テクノロジーと人の共生」の道を模索しています。

"If we ignore technology, we do not only ignore material artifacts: we ignore our world." (Coeckelbergh, M., 2019, Introduction to Philosophy of Technology)

テクノロジーの未来を予見する重要性

一般的には、人は、世界をディストピア化させる技術よりも、より人間性を高めるテクノロジーを求めるものです。AIやロボット、サイボーグを中心としたテクノロジーによる第四次産業革命を迎えている現代、テクノロジーが抱えるこうしたマイナス面や将来のリスクについて予め掘り下げ把握し、設計に活かすことの重要度は事業においても高まっています。私たちは「テクノロジーを哲学すること」がその役に立つのではないかと考えています。

例えば、未来技術への期待は、そもそもそれが現実的に可能かどうかわからない技術をも「可能である」という前提を無意識のうちに置くことになりかねませんが、そうした期待が良い結果を生む場合もあれば、原発事故の問題のように後々になって大きな社会的問題となって返ってくる場合もあります。今後、あらゆるテクノロジーが人間の知能を模した「AI」を前提としていく中で、テクノロジーへのよりシビアな視点が必然的に求められていきます。GAFAなどへの視線が厳しいものとなっていた流れもそれまでの楽観論の反動と考えることもできるでしょう。

技術が人々にどのように影響を与えるのかをこれまで以上に事前にしっかりと考える必要あるのです。

技術論の系譜

「技術哲学(Philosophy of Technology)」という哲学分野が存在します。海外では国際学会もあり、盛んに議論されています(一方で、国内は決して盛んとは言えない状況にあります)。技術は、単なる道具や手段ではないということを前提に、技術がいかに決定または構成されるのかや、技術による人間の行為や志向性の媒介についての研究、さらには、他分野との学際的な研究が行われています。

Technelでは、こうした海外の最新の議論を紹介していきます。また、現在、技術哲学書(教科書本)の翻訳プロジェクトに参加しています(2022年出版予定)。

技術の諸論点と二元的対立への対応

現在、特に最先端技術について様々な論点が浮かび上がってきています。議論対象となる問いには、例えば、次のようなものがあります。〔AIは脅威か/意識はアップロードできるのか/VRは現実か/ロボットは生き物か/サイボーグは身体か/テクノロジーはディストピアをもたらすか/テクノロジーには意志があるのか/デザインで問題を全て解消できるのか/AIの判断は公平か/テクノロジーは死生観を変えるのか/テクノロジーは不老不死をもたらすのか/ネイティブ性は重要か/テクノロジーは人を幸福にするのか...〕こうした問いかけは、問に対する回答がYesとNoで大きく別れやすいタイプの問いです。ある意見には必ず反対者がいて社会としての総意を得にくい問いなのです。

こうした技術にまつわる二元論的議論を超越するための新たな概念の形成も行っています。

技術倫理への応用

ELSIなどへの注目により、エンジニアや企業経営者たちは、自分たちが生み出したテクノロジーによって何が起きるのかの説明責任を以前よりも問われるように成りました。私たちは、そうした企業のサポート行っていきます。

技術設計論への応用

実際に、検討した議論を技術設計に応用します。Technelでは、現在、技術設計にマインドフルネスの考え方を応用するプロジェクトやデジタルウェルネスを実現する技術設計を検討するプロジェクトを行っています。

Project Member

七沢智樹 Technel 代表社員 (プロフィール)+普段、議論をともにしている所属先の大学の仲間たち

顧問 : 信原幸弘 (東京大学名誉教授

テクノロジーの「火」をみつめる

ギリシャ神話では、人は神に「火」を与えられ、そこから動物たちとは異なる高度な文明を築いていく様が描かれています。日本神話では「火の神」の誕生は、黄泉の国と現世(うつしよ)の境の誕生を意味し、その「幽」を背景に、日本人は様々な火を司る神々の働きを生活に取り込み文化を形成してきました。そして、歴史を紐解けば、火を扱うことで人間は道具を進化させ人間世界を生み出し、産業革命以後は膨大な火でありエネルギーを燃料としてあつかう術を身に着け現代社会が誕生したことがわかります。

その火は、現代、AIを始めとする高度なテクノロジーへと結ばれました。しかし、その火は最終的に人類の扱いきれないものとなり、天地を焼き尽くし、社会を崩壊させ人類を滅亡させる、そのようなSFが描かれることがあります。私たちは、その火を扱いきれない運命なのでしょうか。確かに困難な未来が予想されます。しかし、太古から、人類がそうしてきたように、その火を見つめながら語らうことで、自ずと未来が見えてくるのかもしれません。